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選ばれ続けるサプライヤーであり、皆が笑顔で活躍する会社を目指して。

株式会社ヌカベ
代表取締役社長 西田 慶太郎

更新日:2023年2月08日

1965年 群馬県生まれ。明治学院大学卒業。
1990年 工作機械販売商社へ入社し営業に従事。
1994年 株式会社ヌカベ入社。営業に従事。
2016年 代表取締役就任。
※所属や役職、記事内の内容は取材時点のものです。

社会人としての第一歩は、工作機械商社での営業。

ヌカベは独立系サプライヤーとして自動車部品をはじめ、建設機械部品、電子部品などを提供する部品メーカーです。早い時期からグローバルネットワークを構築してきたほか、高品質、高精度を追求するのはもちろん、時代に合わせた生産の高度化も進めています。

私自身は高校まで地元の群馬で過ごし、東京の大学に進学して、そのまま東京で就職。4年ほど勤めてから群馬に戻りヌカベに入ったUターン組です。家業に戻ったという形なので、東京で修行してきたように見えますが、当時はあまり将来を真剣に考えていなかったというか、そこまで計画的にやってきたわけではありませんでした。

ただ、就職先が工作機械の販売会社でヌカベの取引先でもあったので、無関係というわけではなかったですね。顧客はメーカーの工場ですが、営業の際は工作機械メーカーにも打ち合わせに行き、機械の性能を理解した上でお客さまにご案内しなければいけないので、両方に精通していることが求められる難しい仕事でした。私はベテランの営業について歩いていた、という感じでした。

90年代前半で、まだ製造業界は系列会社の縛りが根強い時代だったので、商社という立場でどのグループにも行けたのは楽しかったし、いろいろ見聞きできた経験はその後に役立ったと思います。

Uターンしてヌカベに入社してからは、営業を担当しました。当初はお付き合いいただいているお客さまのところに訪問する、御用聞きのような仕事でした。当時のヌカベはボッシュ、日立のサプライヤーで、それ以外とはお付き合いがしにくかったのですが、2000年ごろから自動車業界も系列の縛りがなくなってきて、行動半径が広がりました。

アメリカ、中国、メキシコ。海外拠点から得るものは大きい。

2000年からは10年間、アメリカのイリノイ州にある工場に赴任しました。このエリアは日系も含めて自動車産業の集積地で、お客さまのボッシュ社から声をかけていただいたのが進出のきっかけです。アメリカでの現地調達の一翼を担う形で1990年ごろから稼働しています。

赴任中は楽しかったですね。国は違っても、ものづくりという同じ業種で繋がっているので同じような苦労を味わっているし、そうかと思えばアメリカならではの「take it easy」な部分など、日本人が学べるところもある。

当社は中国とメキシコにも拠点がありますが、どこからも何かしら吸収できるものがあると感じます。社員も現地の人と触れ合っていろいろなことを吸収してくれるといいなと思っているので、どんどん海外に出張に行ってもらうというのがヌカベのスタイルです。

足を運べば、現地の人たちの気持ちも分かる。やはり、日本とは違うという感覚を理解することが大切だと思うんです。全部を日本流に合わせろというやり方は好きではないので、日本とは違う面を踏まえた上で互いに協力しあって、それぞれが頑張れるところを頑張ろう、という考え方を大切にしています。

ベテラン、若手問わず、海外に行った社員からは良いフィードバックがたくさんもたらされています。その姿勢は国内でも同じで、言われた仕事だけをこなす毎日ではなく、どんどん自分で考えて動いてほしいと思っています。

バッドニュースファーストの意識が社内に変革を生んだ。

自動車業界では、いま「バッドニュースファースト」という文化があります。何かミスがあったときには自分たちからお客さまへ連絡を入れよう、ということなのですが、ヌカベでもそれを自分たちの行動指針にしようと決めました。

上司の立場である従業員には、生産現場で不良の可能性に気づいた従業員が「今日出荷分がもしかしたら危ないかもしれません」と報告してきたら、「お前、何やってるんだ」とは言わないで、「よく教えてくれた」「よく気がついたね」と、無理にでも言ってほしいと伝えました。そこから上司が工場長に報告し、判断してお客さまに一報を入れるようにすると、相手先も「ご連絡ありがとうございます」と応対してくれます。

そうしていると、昔は自分たちから客先へ連絡するということに抵抗があったものが、苦にならなくなってくるんですね。さらに現場では、プラス方向の改善提案をたくさん思いつくので、それを積極的にお客さまに伝えられるようになってきました。そうすると、お客さまから「いいですね、ぜひ見せてもらえますか?」という反応がきて、ポジティブな来社に繋がるようになりました。昔はお客さまが来社するというと、品質問題や納期遅れの挽回会議などネガティブな感覚だったものが変わってきたわけです。

お客さまからの「ヌカベさんは本当に積極的に一生懸命頑張ってくれている」という評価は私もよく耳にするので、その時が一番嬉しいですね。いまのところはお客さまから「ヌカベなら任せたい」「ぜひヌカベで頼みます」と選んでいただいていますし、会社としてそうあるべきだと思っています。

仮に自分たちの提案が失敗しても、お金をかけても実を結ばないことがあっても、チャレンジした実績が残って次につながります。「万が一お客さまに迷惑がかかることがあっても責任は自分が取るから、新しいことはどんどんやっていい」というのは公言しています。コミュニケーションがしっかりしていれば、絶対に深刻な問題にはなるはずがないので、会社にとってはやればやっただけ得るものがあるし、停滞して朽ちていくよりは絶対にプラスだと思っています。

製造現場でのひとつひとつの改善が重なって生み出す効果。

製造現場は同じことを繰り返しますし、それが得意で好きだという人たちも製造業には欠かせません。ただ経営者としてのジレンマは、みんなの給料を上げていきたいけれど、現場で同じことだけをやっていると生産単価が上がっていくということ。

ですから、製造部門の従業員には「改善チームに加わって改善策に取り組んでもらいたい、作業効率が上がることで会社のメリットになるから」と、積極的な方向に考えを変えてもらうよう伝えました。社長になってからの5年ぐらいは、そういう意識改革に終始していましたね。

私が現場を巡回するときには、ラインごとに1カ月で取り組むテーマを用意してもらって、それを聞いて回りました。これの良いところは、自分たちが得意な仕事のことをテーマに、自分たちで活動目標を決めているので、みんなとてもよくしゃべってくれるんです。それが楽しい。堅苦しかった話し方もだんだん上手になっていきました。

最初の頃の改善目標は、例えば「モノの管理のために棚を整理します」といった、今さら何を言ってるんだと思うものもあったのですが、そういうことは口にしないで「それできれば効率が良くなるね」と励ましていくうちに、改善がどんどん高度に、質がよくなっていきました。自分たちの活動を伝える力がついてきていることも、明らかに分かりましたね。

今はリモートで工場ごとに改善発表会をやっていますが、ビフォア・アフターの写真を用意したり、効果の有無をちゃんと示したり、次はこうしたいという予告編もつけてくれるようになりました。若い世代が中心にやっているのかなと思いますが、発信能力が高い。本当に聞いていて楽しいです。

当社の場合、どこにどれくらいの改善の効果が出ているかの算出方法が難しいのですが、私が社長に就任して4年目の業績が苦しいときに、工場トップに「効果の刈り取りを意識してほしい」と伝えたら明らかな手ごたえがあり、5年目の期には予想以上に黒字が出ました。ひとりひとりの努力が積みあがると、すごい効果があると思いましたし、逆に悪影響も積み重なれば大変なことになると感じました。

従業員が笑顔で仕事に向かえる会社でありたい。

こうした取り組みをやっていった背景には、以前は品質問題などでお客さまが来社して「どうやったら良くなるのか」と問われても、何年も同じことを続けているので改善提案ができなかった、という状況がありました。そこで、少し時間をかけてでも内部の意識改革をやるしかないと思ったんです。それはアメリカから帰国して以来ずっと考えていたことで、お通夜のような雰囲気の会議ではなく、笑顔で仕事ができるようになってほしいと思っていました。

従業員の変化は大きくて、品質面も目覚ましく良くなりました。最近はほとんど納入不良を出していないので、1件出してしまったときの悔しがりようはすごいです。そのラインで働く全員が心底悔しがっている。当然目指すべきは、不良ゼロなのですが、私が「いつかそんな日が来るかな」と思っていたことが、いまは従業員みんなが実現できそうだと感じていると思います。

あと、私が伝えてきたのは仕事の最上位は品質ですが、さらにその上にあるのが安全だ、ということ。全工場を回るたび、絶対に安全第一で、誰も傷つかないようにということは念を押して言っています。最近は労災ゼロが続いているので、効果があってよかったと感じています。

働き方改革も進めました。ちょうど新型コロナウイルスの流行が始まったのと同時期で、業界的には半導体不足で受注が減ったということもあり、それまでは忙しくて365日稼働していることが普通だったのを止めてもらいました。工場長たちは相当頭を悩ませたみたいですが、定時で帰れるようになったことをよかったと思ってくれている従業員が多いのではないでしょうか。

目指すゴールに到達するなら道順はいろいろあってもいい。

自動車業界はまさに過渡期にあって、すぐにEVとはいかないまでも、次世代自動車の話ばかりになっていますし、当社もそれを実現していく一端を担っています。

当社は自動化も一生懸命やっていて、私の理想としては出社してゆっくりお茶でも飲んでもらって、何か必要な時だけ出動してトラブルを解決する、というくらいがベストな製造現場だと思っています。

理想というのは一度思い浮かべれば達成できないとは限らないし、従業員のみんなもそれを描きながら携わってくれています。先ほど話した改善発表会でも、自動化の案件はどんどん出てくるので嬉しいですね。

これから仲間になってくれる人に対しては、私はヌカベに興味を持ってくれたら、そこで合格と言いたいぐらいで、どんな経歴の人もそれを活かせるポジションが会社にはあります。

会社としてはお客さまに選ばれる、そして新卒や転職希望者にも選ばれる会社でありたいし、誰もが楽しく通勤できる会社でありたいと思っています。

人が集まれば、ひとりひとり考えが違うのは当然です。私はそれぞれのアプローチが違っていても、ゴールが一緒ならいいと思うタイプ。

例えばどこかへ行くときに、運転手のルートが自分のイメージしていたものと違っても、目的地に着けばいいやと思うので口出ししないですね。自分の考えるベストよりも、もっと良い道順があるかもしれないのですから、「逆に道順は人によって違うほうが面白いじゃない?」と思います。

会社の仕事も、思うようにどんどんやってほしいと思うし、だから失敗報告もそれなりにあるんです。でもそれを隠すことなく、みんなの前で発表できている状況は良いと思っています。

間違いを起こせない部品を作っているという緊張感のなかでも、みんなが失敗を恐れずゴールを目指す状態を理解して、よくやってくれていると感じています。

編集後記

コンサルタント
松浦 光洋

西田社長ご自身の海外での経験体験から語られるお話に、私自身大変共感しました。また、自ら工場に足を運び、改善提案に耳を傾けることやバッドニュースファーストの取り組みからも、従業員が笑顔で主体的に働ける環境を作ることで、品質も顧客からの評価も上がる好循環を生み出されたのだと感じました。

また「それぞれアプローチが違っても失敗を恐れずゴールを目指してほしい」というメッセージをお聞きし、弊社も人財を紹介することで同社をサポートしていきたい、と強く思うインタビューでした。

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